2021/03/14 13:17




(写真は2018年夏、徳島の剣山(つるぎさん)のもの。そこは本当に日本神話の世界そのもの。自分がその世界、古代日本の黎明期(れいめいき)に入りこんだのではあるまいかと思える光景でしたので、この雰囲気とともに(?)勾玉によせて写真を並べてみました。フォトは剣山に到着した午後→夕暮れ→朝日の順番になっています)

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2月にリフレッシュも兼ねて埼玉にある「埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)」へ訪れていました。








(こちらは埼玉古墳の夕暮れ)

人に話すと「埼玉に古墳あるの?」と大体言われるのですが、あります(笑)埼玉古墳はもう10年以上前から行きたいなと思っていた場所でしたがこの度ようやく。素朴で素晴らしい場所でした(あと一泊した宿の温泉がこの上なく気持ちよかった)。

行ったことはないけれど、メキシコのテオティワカン遺跡の日本版みたいな雰囲気だと思います。太陽の神殿や月の神殿があるように、陰陽が古墳で表されているようで、面白い場所。

(以下から剣山フォトズ)






今回マガタマをまとめてUPしたのは以前仕入れた神居古潭がひとりでずっと待機してくれていたので寂しかろうと勝手に思っていたからなのですが、今思うと埼玉古墳に行って、内なる日本が刺激されたのも理由かも知れませんね。

日本神話や古代出雲の世界、ヤマトタケルなどは昔から惹かれるキーワードでしたが、今回はマガタマについて改めて、つれづれに書いてみたいと思います。









勾玉は日本書紀や古事記にも登場する古代日本を象徴するようなアイテムのひとつですが、これらは縄文時代から祭祀や装身具として使われていました。

材質もヒスイやメノウ、水晶や琥珀、土器や青銅などバリエーション豊か。どれもそれぞれにとても素敵ですが、埼玉古墳でもやはり勾玉が副葬品としていくつも出土していて(たしかヒスイだったと思います)ロマンを感じてしまいました。






勾玉とは古代人にとって一体何だったのでしょう?

諸説ありますが、この独特のフォルムはもとは動物の牙だったとする説、胎内にいる時の胎児の姿を象ったもの、またはこれを魂のカタチだとする説、頭を太陽に、尾を月とする説などさまざま。

個人的にはこれを胎児や魂の形を模したものだという話が好きです。

古墳を見ていて感じたのですが、ああいった前方後円墳もやはり人の形を模したものなのではないかな?と。ゆるやかに曲線を描きながら大きく盛り上がったそれを眺めていると、なんだか人が横たえているように感じられたのでした。






勾玉が何を表していたにしろ、これは現代に生きる私たちにとっては古代日本や日本の黎明期、日本神話の世界を彷彿とするものだと思います。

十字架でも星でもハートでも、何でもよいのですが、そういった「シンボル」というのはある程度のイメージをまとった「意味」としての響きを持っていると思います。

だから、勾玉を見たり手にしていると自分の内側にあるそういった象徴ーー懐かしいエネルギーが語りかけたり、動いたりすることもあると思うのです。






そんな意味ではこの愛らしいフォルムをもつマガタマは人をほっこりとさせてくれるものでもあり、また自然豊かな古代日本の風景やそこに営む人々を自然と想起するものでもあると思います。そして神話の登場人物がもっていたものを手にしていると思うと、なんとなくカッコいいですよね。

勾玉は古くから装身具として親しまれてきましたが、そういったものって何かしらの「ひとのピュアな想い」や歓びをカタチとして載せているようでロマンを感じます。人の歴史というか、永い永い人々の営みのようなものや物語性があって、美しく感じられます。








勾玉ってどことなく人の営みそのものや命を感じるものでもあるかも知れません。







フォルムのいわれは諸説ありますが、なんとなく小さな精霊のようにも見えてとても可愛いですよね。こんな存在が見えない世界にはいるんではないかな?無垢でピュアなコダマみたいなものとして。

たとえば黄金比率と呼ばれているパターンが無条件に美しく感じられるもののように、勾玉ももともとひとのこころに何か雫を落としてくれるフォルムなのかも知れません。







色々と書いてしまいましたが、最後には「マガタマって可愛いよね」というシンプルさ。

眺めているととにかくほっこり癒される姿ですよね。




剣山で迎えた朝日の光景。雲海と爽やかな朝の雰囲気がとにかく素晴らしかったです。