2021/01/17 14:00
(つづき)
イシス神殿で手に入れた2つのアンダラをお伴に今度は西方砂漠を巡るべく列車で北上していきます。
(車内で仲良くなった青年。たまたま行先が同じでした)
わかってはいたことだけど、経由地点となるアスユートから西の砂漠へ向かうバスが出るのは朝方。そして乗りこんだ列車が町に着くのは真夜中でした。
ホームについてさてこれからどうするかと途方に暮れていると、巡回していたお巡りさんに声をかけられました。ハルガへ行くならこっちのバスステーションだよと教えてもらって、ひとまず真夜中の町へ降り立ちます。
アスユートの町は深夜1時頃でも人でごった返していて、子どもたちも平気で外をほっつき歩いている、ネオンが煌々ときらめく都市部でした。その中をバスステーションへ向かって歩き出したのですが、たった数時間の滞在時間でもアスユートは何となく好きな町でした。
ステーションはチケット売り場とシャーイやお菓子、ちょっとした軽食を売っている売店が一緒になったような野外の広場で、ひとまずチケットを買ったのち、とても寒かったのでシャーイを飲みながら時々うつらうつらと眠り朝を待ちました。
余談だけれど、私は旅先での移動も、バスを待っている時間も好きで、なんとなくこういった瞬間に幸せを感じます。
朝方、ようやくやってきたバスに乗りこみ、ハルガという砂漠のど真ん中にあるオアシスの町へ出発します。
5~6時間くらい乗っていたでしょうか、やがて何もない砂漠ロードのただ中に町が表れて、ヤシの木や、緑が見える人々の暮らす場所に辿り着きました。
ハルガはバスを降りた瞬間から何か好きになれた町で、あれこれとありましたが結果的にいい宿へとご縁が導いてくれました。
この町では外国人が珍しいようでとてもたくさんの人々と交流しました。
とりわけ子どもたちからは「すげぇマジかよアジア人じゃん!」とばかりに大人気。
この日、この町すべての子供と会ったんじゃあるまいかというほど子どもたちと絡めて楽しかったです(女の子たちには遠目でクスクス笑われましたが。笑)。
夕暮れ時のハルガ、町のはずれに砂漠の丘を発見したのですが、そこで見た夕焼けとヤシの木、砂漠の景色はとても素晴らしいものでした。
そんな調子で、ハルガの滞在はとても楽しいものでした。
(宿の前にあるターメイヤサンド屋さん。ひげのおじさんは私が勝手に「ムハンマド」と呼んでいたおじさん。エジプトでは一日一回必ずムハンマドさんに出会います)
ハルガから次の砂漠の町、ダフラへのバスを待っている間、穏やかな昼どきでしたが、シャーイを片手にとても満たされた気持ちでした。
そこからさらに砂漠を移動して、ダフラに着いたのは夕暮れ時でした。
ほとんど日も沈みかけている中でバスを降りると、一人の客引きのおじさんが声をかけてきました。
(ダフラではほとんど写真を撮っていないのでほぼファラフラの景色)
経験上、駅やバススタンドで待ち受けている客引きに付いていくかどうかはかなり重要な分岐点です。この彼は自分が経営している宿に誘っている訳ですが、そうでない場合はたいがい宿からマージンをもらっていたりするので、その分上乗せもされますし、客引きに付いていって大当たりのときも大外れの時も、両方あるものです。
辺りはもう暗くなりかけていましたが、この時は自分で宿を探したい気分だったので(かなりしつこかったけど)断りました。
そこいら辺に立っていた警察に安い宿を尋ねると、ニヤっとして「それならここがいい」と勧められた宿はどう考えても貧乏バックパッカー向きでなく、明らかにマージン稼いでやる感がプンプンしたのでさよならしました。
ぶらぶらしているとさっきの彼がまだそこにいて話しかけてきます。
「ほらね。この町には安い宿なんて他にないんだよ。安くしとくからうちに来なよ」
安宿が一件だけな筈はないということはわかっていたのですが、だんだん探すのも面倒になってきたので、その場で納得いく値段まで交渉して彼の宿に決めました。
彼のバイクに2ケツしてLet's Goです(その間も「〇〇ポンドで明日バイクでツアーに連れてくよ」とひたすら勧誘)。
(ダフラで泊まったおじさんの宿。なかなかいい空間でした)
着いてみると、意外なことに夕飯をタダでサーブしてくれると言うのでラッキーだなと思いつつ(まぁ夕飯がてら町もぶらぶらしたかったのですが)、他愛のない会話をしていました。
何の話からか忘れてしまいましたが、私が「石が好きなんだよね」と言うと、彼の目がキラリと光りました。
「本当に?君はラッキーだよ。待ってて、今いいものを見せるから」
と言うと部屋を出てどこかへ行ってしまいました。
一体なんだと思っていると、ほどなくして彼が大きなビニール袋を抱えて帰ってきました。ひとつひとつ紙に包まれたそれらをテーブルの上に並べると、中から現れたのは大小さまざまな、薄緑色の石たちでした。
「リビアングラスって知ってる?これは僕のコレクションなんだ」
リビアングラスは数万年前に砂漠に落ちた隕石の衝撃で生まれた天然ガラスです。
リビアンという名の通りリビア砂漠のみで採取されますが、実際はリビア砂漠というのはリビアとエジプトの間にまたがっている砂漠のようです。
私は驚きと興奮とともにそこに並んでいるリビアングラスたちを眺めました。
何と言ってもリビアングラスはとても希少な石なのです。カタチのよい原石はほとんど手に入らない、とまではいきませんが、市場には高値で出回っており、また今はクオリティの高いものはほとんど出回っていないと聞きます。
おまけに、2021年現在、エジプト政府はリビアングラスの採取・輸出を禁止したらしく、つまりもう新しいリビアンは(現地のショップなどで購入しない限り)国外に出回らないということです。
まさかアンダラに続いてこんなところでリビアングラスに出会うとは…予想外の成り行きに驚きました。
彼はこれはコレクションだと言っていましたが実際にはビジネスのために仕入れているようで、私が石好きだと知って声をかけてきたようです。
いずれにせよ、目の前にはなかなかお目にかかることのできない幾つものリビアンーー中には数キロあるような巨大なものまで積まれています。買うかどうかは別としても、こんな機会はそうはありません。
彼はこのリビアングラスがどんなに素晴らしいかを説明すると、最後に「1グラム○○ポンドだよ、安いだろ?」と得意げに勧めてきました。
その中には、とりわけこころ惹かれるリビアングラスがありました。
普通、リビアンといえばガラス質で土埃などが溶け込んでいない、見た目の綺麗なものに価値が置かれています。
が、私が惹かれたのはモルダバイトのようにザラザラ、ザクザクの石肌で、そこに大量の溶けた砂が細かに付着し、けれど裏面はたくさんの気泡を含んだ、ツルツルで美しい手の平サイズのリビアングラスでした。何とも言えない味わいと、そしてグイっと惹かれる引力のようなものがあったのです。
もしも買うならこれだね、と指さすと、彼は「いい石をチョイスしたね」と微笑み、グラムを計ってみようと椅子から立ち上がりました。
計量器はここではなく宿の下にある小さな商店にあるようで、そこに二人でリビアンを手に向かいました(何とシュールな絵)。計測が終わってテーブルに戻ると、再び彼の熱い商談がスタートしました。
正直言うと、私はこの時の流れにムードで乗っかってはみたものの、実際に買おうというつもりは余りありませんでした。見れるだけで充分だったのです。実際、こちらからは一言も買うことを確約していた訳ではなく、ほとんど彼の勢いといったところでしょうか。
が、こちらの拙い英語も相まって話はビジネスの方向にどんどん進み、彼はひたすら売る気満々といった様子で勧めてきます。
私は彼の言い値がエジプトの物価を考えればそれでもかなり高くしているということがわかったので、買おうというつもりはないものの、どこまで値を落とすか、好奇心もありありえない値段を冗談でふっかけてみました。
彼は呆れたように笑いながら「馬鹿いうな」と首を横に振りつつ、それでもこちらの交渉にじょじょに値段は下がっていきます。どうしても石を売りたい様子でした。
私はだんだん疲れてきたのでもう部屋に戻ろうとしていたのですが、彼はお金が必要らしくて真剣な眼差しでビジネス臭をプンプンさせていたので、こちらももう全然楽しくありません。
「もう部屋に戻るよ」と何度か言ったのですが、彼はその内にもうこれ以上さがらない、ラストプライスだよ、という値段を持ちかけてきました。それはたしかに日本の相場を考えたら破格もいいところでした。
けれどこんな形で石を迎えたくない、確かに心惹かれる石だけど、こんなに無理強いされてきた石だって石の方もイヤだろうと感じて、結局断ってしまいました。
やれやれと思い部屋に戻ってしばらくすると、またまた、彼がドアをノックします。
「これならどう?」
それは先程の値よりもやや下がったラストプライスでした(あんさん初めの値段はどれだけボッってたのよ)。
が、私のきもちは変らなかったので、心苦しくもあり、実際かなり迷いましたが、どうしても「うん」と言う気になれず渋々断ってしまいました。
すると彼は憤慨した顔をして、何も言わずに乱暴にそこから立ち去っていきました。
これはもともと、買うつもりもないのに好奇心で話を広げた自分もいけなかったのです。なので心の中で「ごめんなさい」と謝ってドアを閉めました。
けれど次に心配したのはそんなことではなく旅人の勘でした。
ここの宿は不思議な作りをしていて、なぜかロビー(というのか、テーブルのあるリビングのような空間)の内側から外へつながるドアにも鍵がかけられるのです。つまり、宿屋の鍵がないと外に出れません。
明日は朝6時のバスで発つつもりでそう伝えていたのですが、かなり怒った様子の彼はこちらが寝ている間に鍵をかけて「買うまで出さないよ」などと言い始めるのではないかと心配になってきました。
(日本じゃありえなさそうですが海外だと普通にありそうですし、実際、そうしてもおかしくなさそうな勢いでした。というかインドで似たような経験をしたことがあるのです。あの時は湖の上のボロコテージだったので逃げ場もなく、大喧嘩して黒ヒゲ危機一髪の状況でした)。
もしそうなってもまぁ窓から出ればいいやと思ってバルコニーに出てみましたが流石は3階。飛び降りたらヘタすりゃ骨折します。よじ下れそうな電柱も、ヤシの木も、クッションになりそうなアラブの露店の布の屋根もありません。
まぁ身から出たサビであんまりいい想いできなかったけど、なんとかなるだろと、もう真っ暗な路地裏をぼんやりと眺めてから眠りにつきました。
そしてその夜、不思議な夢を見ました。
私が部屋のベッドで寝ていると、宿の主人がニコニコしながらドアの鍵をジャラジャラさせて、「織矢~~~、もう起きる時間だよ~~」と言いながら向こうの扉を指さすのです。
私はその夢があまりにリアルだったので、実際に「うんわかった」と口にして、その自分の声で目を覚ましました。窓の外は真っ暗。時計を見てみるとアラームを設定した時刻の数分前でした。
なんだかおかしな夢を見たなと思いつつ、まず確かめるべきはただひとつ、外へ通じるロビーのドアでした。
私が一体どうかなと思って部屋をそ~っと出てみると、シンとしたロビーのテーブルには一枚の書き置きと、リビアングラスが一つ置かれていました。
そこにはこう書かれています。
「君がこの値段でよければ、Take Itして」
そこに書いてあった値段は昨晩のラストプライスと変わらないものでしたが、私はこの手紙を読んだ時、さっき見た夢のことを思い出し、ここに置かれたリビアングラスを静かにお迎えすることにしました。
そして確かめてみると扉に鍵はかかっていませんでした。
時に石は持ち主を選び、その持ち主のもとへ行きたがるというけれど、もしかしたら、さっきの夢に出てきた主人は、このリビアングラスが形を変えたものなのではないかな?などと創造しました。夢を通したリビアンからのメッセージ。鍵をもってリビアンの置かれたロビーに続く扉を指さすというのも、なんだか象徴的です。
あのビニール袋の中に入っていたリビアンたちも、一体どれだけの間あの包み紙の中で、倉庫の中で眠っていたか、時を待っているのでしょう。私はなんだか、石に選ばれたと勝手に解釈して、この光栄なことを受け容れることにしました。
おかしな夢と、実際には迷っていた気持ちと、彼の執念が運んだことではあるけれど、こんな流れならば素直に受け入れられます。
言い換えれば、昨夜のあんな流れも私が許容できる範囲までロープライスにしてもらうための流れだったのかな?なんて都合よく。この石は私のところに来てくれる石だったから、いま私のところへ来たと思えました。
誰もいないロビーのテーブルにエジプシャンポンドの紙幣を置いて、リビアングラスをポケットに入れて、宿を後にし、まだ真っ暗で、誰もいないようなダフラの町をバスステーションに向かって歩き出しました。
彼とはそれっきりで、最後に見たのは夢を除けば憤慨して出ていった昨夜の姿でしたが、きっと私が宿のドアを出た音を聞くとすぐにテーブルの上を確認しにいった筈です。なんとなく彼のニヤっと笑う顔が浮かびます。彼もお金が必要だと言っていたし、きっとWin-Winでしょう。
私は今起こっていたことが不思議で、暗い中でバスを待っている間も、バスに乗って朝焼けの砂漠を眺めている間も、ずっとリビアングラスを手にして、ずっとそのことを考えていました。
この時のリビアングラスはその後、エジプトを巡っている間じゅう右ポケットに入れて、お守りのように肌身離さず持っていました。砂漠を歩いている時も、バスに乗っている時も、宿で一人でいる時も、しょっちゅうポケットからそれを取り出しては眺めていました。いわば旅の相棒のようなもので、石もきっと喜んでくれているハズ。
あの時、ダフラという町であのおじさんの宿に泊まることも、あらかじめ決まっていたのでしょうか。石が呼ぶ縁のようなもので、そういうことって時に確かにあるのです。石が石の行き先を決めて、その流れを象る。この時のリビアンは今でも一生の旅の相棒で宝物です。
あの時、この石を迎えて本当によかったです。
「Crystal Journey④ ファラフラ~ホワイトデザート~クリスタルマウンテン篇」へつづく。
※色々書いてますが国内では値段交渉などまずしません(笑)その国の文化と背景とシチュエーションあってこそで、露店やリキシャなど、旅先のこういった値段交渉は普通のことで、そして楽しいものです。